kaoya台湾生まれなのに、そり舌、r化てんこ盛りの北京語が得意なZおじさん。その理由を聞いてみると、

「父親が北平生まれ」

と言って、ニンマリするのです。

「北京ダック」ではなく、「北平ダック」という言い方もあります。ちょっと複雑な「北京」と「北平」の関係を、日中対訳でご覧ください。

 

北平烤鴨?北京烤鴨?

在台灣很多地方都有賣烤鴨,但在路上「北平烤鴨」跟「北京烤鴨」這兩種寫法都有看過,究竟是有什麼不一樣呢?
台湾では、たくさんのお店で「アヒルの丸焼き」が売られています。でも、街を歩いていると、「北平烤鴨(北平ダック)」「北京烤鴨(北京ダック)」の二通りの書き方を見かけるのです。これって、いったい何が違うのでしょうか。

原來,北平跟北京其實是指同一個地點!
実は、北平と北京は同じ場所。民國元年(西元1912年)1月1日,中華民國成立之際,孫文在南京宣示就任臨時大總統,同時也將南京定為當時中華民國臨時政府的首都(原稱金陵)。
中華民国が成立した民国元年(西暦1912年)1月1日、孫文が南京で臨時大総統就任を宣言しました。それと同時に、それまで金陵と呼ばれていた南京が当時の中華民国臨時政府の首都と定められたのです。

 

事隔三個月,袁世凱接任臨時大總統職位,又將臨時政府的首都從南京遷至北京。
それから三カ月後、臨時大総統の地位を引き継いだ袁世凱が、臨時政府の拠点を南京から北京に移し首都としました。

民國開始後北京地方體制仍延用清朝,故當時仍稱北京。

中華民国になってからも、北京一帯では清朝時代の体制が準用されていたので、当時は名称もそのまま「北京」が使われていました。

1928年北伐結束後,作為中華民國中央政府的國民政府,再將首都遷至南京,並把北京改名為北平特別市。
北伐が終了した1928年、中華民国の中央政府である国民政府が、首都を南京に戻したことに伴い、北京の名称は「北平特別市」と改められたのです。

1937年中日戰爭開打,此處也被日軍占領,日軍將其名稱又從北平改為北京,直到1945年戰爭結束後,由孫連仲的部隊接收北京,重新更名變回北平。

1937年に日中戦争が始まり、日本軍に占領された北平は、名称も北京と改められました。この呼び方は、1945年の終戦後、孫連仲の部隊に接収された北京が、再び北平という名称に戻されるまで続いています。

1949年,中華民國國軍撤退來台,中國人民解放軍進入北平市。同年九月,由中國人民政治協商會議通過中華人民共和國國都的相關決議,正式將北平改為北京市,直到現在。
中華民国軍が台湾に移った1949年、中国人民解放軍が北平市に入りました。同年9月、中国人民政治協商会議において、中華人民共和国の首都に関する決議が承認され、呼び名も「北京市」に戻されました。それから現在までその名前が使われています。

而北平(北京)烤鴨這個料理的由來,有各種傳說。其中有一說是最早出現在元代的宮廷御膳中。 
「北平(北京)ダック」の由来については諸説があり、元代の宮廷料理として出されたのが最初だとも言われています。

而料理名稱,則是因上述錯綜複雜的歷史關係影響,有些店家稱北京烤鴨,有的則稱北平烤鴨,但其實都是指同一種料理喔!
料理名は、上記のように複雑な歴史的要因の影響を受け、お店によって、「北京ダック」と言ったり、「北平ダック」と言ったりしていますが、実は全く同じ料理なのですよ!

看到被烤到金黃酥脆的烤鴨,口水都不自覺地留下來了呢!
飴色にコンガリ焼けたこの料理を見ると、思わずヨダレを出してしまいそうですね。在台灣習慣一鴨三吃,一種是直接吃,一種是包著餅皮吃,一種是炒來吃。
台湾には、「一羽のアヒルを三度楽しむ」という習慣があります。まずは、そのままパクリ。それから、クレープのような皮に包んで。最後は炒め物で。下次可以和朋友一起買隻烤鴨試試看三種不同的吃法吧!
みなさんも、お友達と一緒にアヒルの丸焼きを買って、この三つの食べ方の違いを試してみませんか?